大判例

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仙台高等裁判所 昭和63年(ネ)74号 判決 1990年8月13日

控訴人 土井二郎

右法定代理人親権者父 土井一郎

右訴訟代理人弁護士 加藤實

同 脇山淑子

被控訴人 南陽市

右代表者市長 大竹俊博

右訴訟代理人弁護士 古澤茂堂

同 饗庭忠男

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人に対し、金三四五万円及びこれに対する昭和五一年二月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金五七五〇万円及びこれに対する昭和五一年二月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者双方の主張

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実中控訴人に関する部分の記載と同一であるから、これを引用する。

一  原判決六枚目裏八行目の「酸素」の次に「の投与」を付加する。

二  同一九枚目裏四行目から七行目までを次のとおり改める。

(一)  全身管理義務違反

(1)  全身管理の重要性

出生時体重が少なく、また一般的状態の悪い未熟児に対しては、どうしても投与する酸素の量を多くし、その期間を長くせざるを得ないことが多いので、未熟児の保育にあたる医師は、何よりも児の適切な全身管理を行い、その一般状態を良くすることによって、投与する酸素の濃度やその投与期間を最小限に抑え、本症の発病を防止し、また、発症したとしても自然寛解が促進され、あるいは早期に治療を受ける機会を作る義務がある。

(2)  注意深い全身的観察とその記録の必要性

未熟児はすべての面において状態が不安定で、時々刻々と変化するものであるから、全身状態・皮膚の色・体温・呼吸数・脈拍数その他種々の点について継続的な観察、監視が必要不可欠である。

ところが、A医師は昭和四七年四月一三日から同月一七日まで岡山の日本産婦人科学会へ出張し、不在であった。この間、控訴人の保育は、同医師の特段の指示のないまま看護婦任せに放置され、診療録には何の記載もなされていない。控訴人のカルテ、看護記録によれば、生後二日間は手足にチアノーゼがあり、四月一一日までわずかに陥没呼吸がみられるが、その後は特に変化なしと記載されている。全身チアノーゼが生じたことは一度もない。四月一二日以降は特に変化なしとされていることから判断すれば、順調に発育していると考えられる。同医師が使用しているチェック表シルバーマンスコアでも、第一日目は六点(一〇点満点で多いほど悪い)で児の状態はよくないが、第二日目は三、三日目は二、四日目は二、五日目は一と次第に少なくなっており、六日目からは点数の記載がない。

控訴人の場合、前記のように生後五日間は多少のチアノーゼや呼吸障害の徴候が認められるものの、六日目からは一般的状態は良好であり、この状態で安定していたと思われ、ほとんど酸素投与の必要性はなかったものである。同医師が四月一三日から一七日までの間、みずから控訴人を診察し、その全身状態を注意深く観察していれば、もっと早く酸素投与を中止し、未熟児網膜症の発症を防止することができたかもしれないのである。

また、控訴人の体温が若干低いのに、上昇させるための措置を講じていない。

被控訴人には重大な全身管理義務違反がある。

三  同二〇枚目表七行目から九行目までを次のとおり改める。

A医師は、昭和四七年四月当時において、四〇パーセント以上の酸素を長く投与しなかったならば、未熟児網膜症には罹患しないし、眼底検査の必要もないという誤った認識を持っており、光凝固法、冷凍凝固法の存在も知らなかった。

しかしながら、右の認識のもとにおいても、同医師は「未熟児網膜症発症防止のために酸素濃度を測定し、濃度を調節しなければならない」という知識は有していたわけであり、それは昭和四七年当時においても産婦人科医の常識となっていたのである。

ところが、A医師は、看護婦に対して酸素流量の指示をするだけで酸素濃度測定は指示していない。病院には酸素濃度計が備え付けられていたが、同医師の診療録には五二日間に及ぶ酸素投与期間のうちわずか一六日分しか酸素濃度の記載がなされていない。しかも、「ミラ」又は「O2濃度」と書かれている箇所が一六か所あるうち、全く判らない程に塗りつぶして数字を書き直したところが一〇か所、塗りつぶしたまま数字を書き加えていないところが二か所で、塗りつぶした形跡のないものは四か所に過ぎない。塗りつぶした理由について、同医師は、「呼吸が非常に早くて浅いときに測ると、四〇パーセントを越すことがあるので、呼吸が平静になったときに測ると三〇台になる。それで最初のを消した。」との趣旨の証言をしている。右証言が真実とはとうてい思えないが、もし、そのようなことがありうるとしても、濃度を調節し、四〇パーセントを越えないように調節することは、同医師の誤った認識の下でも当然期待されることである。

しかるに、同医師は酸素濃度を「調節」せずに診療録の記載の方を「調節」したのである。そのうえ、同医師の証言が真実とすれば、同医師は控訴人の酸素濃度が四〇パーセントを越えることがあるとの認識を有しながら、三リットルの投与を続けたまま、四月一三日から一八日まで六日間も岡山へ出張したことになる。恐るべき杜撰な酸素管理である。

A医師が四〇パーセントを越えることがないように酸素管理を行い、控訴人の一般状態の良くなった四月一二日以降の酸素投与をすみやかに中止していたならば、控訴人が未熟児網膜症に罹患することはなかったであろう。同医師の前記のような行為は、医師の裁量を大きく逸脱しているものである。

四  同二〇枚目表末行から同裏五行目までを次のとおり改める。

(四)説明義務、転医義務違反

控訴人出生当時、東北大学医学部付属病院眼科教室において、佐々木一之医師及び山下由起子医師らによって、光凝固法、冷凍凝固法が実施されていた。また、右病院は、南陽市からは車で行けば三~四時間で行けるところにあり、容易に転医出来る距離にある。控訴人は四月生まれであり、寒さや冬期間の交通事情を心配する必要もない。

しかるに、A医師は控訴人に対し、四〇パーセント以上の酸素投与を行い、同人の認識をもってしても未熟児網膜症発症の危険があることを知っていながら、控訴人側に対して何の説明も行わなかった。同医師が前記のような本症発生の可能性・危険性を説明し、その早期発見のために早期かつ定期的な眼底検査の必要性を説明しておれば、患者側としてはどんな方法をもってしても右病院の診察を受けるはずであり、適切な治療を受けることが出来たのである。

もっとも、同医師は当時右治療法をよく知らなかったようであるが、病院には眼科があり、非常勤ながら眼科医が週一回診察にあたっているのであるから、控訴人を眼科に受診させていれば、眼科医を通じて控訴人が前記説明をうけ、適切な治療を受ける機会を得られたのである。しかるに、A医師は右の義務をいずれも怠った。定期的に眼底検査を実施し、本症を早期に発見して適切な時期に右の治療を施していれば、失明は回避出来た筈である。担当医の説明義務、転医義務違反は極めて重大である。

(五) 不誠実診療責任

(1)  仮に当該患者につき、当時の医療水準において有効な治療方法がなく、その結果健康(機能を含む)の喪失が避けられないものである場合であっても、患者はなお医師に、医師としてのその全知識、全技術を尽した誠実な医療を求めるものであり、医師がその要求を満たすことによってこそ、患者側はいわば心残りや締め切れない想いから免れ、或いはこれを軽減して、回復し得ない結果を受容する心境にもなり、死あるいは不治の障害の苦痛に対し、心の平静を保ちうるものである。

従って、医師と患者の医療契約の内容には、単に当時の医療水準に拠った医療を施すというのみでなく、そもそも医療水準の如何に拘らず、緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約束が内包されているというべきであり、また医師は本来そのような注意義務を負うものと解するのが相当である。

換言するならば、医師が右の義務に反して粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたときは、医師のその作為・不作為と対象たる患者について生じた結果との間に相当因果関係が認められなくても、医師はその不誠実な医療対応自体につき、これによって患者側に与えた精神的苦痛の慰謝に任ずる責があるというべきである。

(2)  本件についてみると、A医師が講読していることを認めている日本新生児学会雑誌、日本小児科学会雑誌、産婦人科学会雑誌などには、昭和四七年以前においてもたびたび未熟児網膜症に関する論文が掲載され、四〇パーセント以下の濃度でも発症する場合があることや、定期的眼底検査の必要性、光凝固という治療法のあることが指摘されていた。同医師は眼科医の論文は読まなかったと証言しているが、現実に未熟児保育に携わっている医師でありながら、重要な関わりのあるこれらの論文を「読まなかった」とは考えられない。ことに、「産婦人科の実際」(昭和四三年一一月号)には、「免疫学的妊娠診断による流産切迫の予後診断」というA医師の論文が掲載されている。同じ号の特集記事の一つとして、植村恭夫の「新生児眼疾患」という論文が掲載され、未熟児網膜症と酸素投与との関係が詳しく述べられている。手もとに雑誌が届いているにもかかわらず読まなかったのだとすれば、それ自体医師として余りにも不誠実であり、不注意である。

(3)  しかも、A医師は四月一二日以降チアノーゼも呼吸障害もなく一般状態が良好であった控訴人に対し、約五〇日間も酸素投与を続けている。ことに、四月一二日から一七日までは、漫然と三リットルの投与を続けたまま岡山の日本産婦人科学会へ出張している。三リットルの継続投与により酸素濃度が四〇パーセントを越えていたであろうことは、原判決も指摘している。

ところが、同医師は学会から帰った後、酸素流量を二リットルに減じたものの、未熟児網膜症については無関心のまま、一度も眼科医に受診させようとしなかった。同医師のこのような杜撰で不誠実な医療対応の結果、控訴人は未熟児網膜症について適期に説明を受け、転医する機会を失ってしまったのである。

医療水準がどうであれ、控訴人が生まれた昭和四七年四月当時東北大学病院眼科ではすでに冷凍凝固や光凝固による治療が行なわれており、控訴人も同年九月八日同病院を受診したが、すでに手遅れであった。A医師がもっと早く控訴人を眼科医に受診させていれば、控訴人は冷凍凝固法などの治療をうけ、失明せずにすんだかも知れないのである。控訴人の痛恨の思いは深く、今なお拭い難い。たとえ、相当因果関係が認められないとしても、被控訴人は控訴人側に与えた前記の精神的苦痛に対し、慰謝に任ずべきである。

五  同二九枚目表末行から同裏七行目までを次のとおり改める。

(一)  同6(一)の事実の内、A医師が四月一三日から一七日まで岡山の日本産婦人科学会に出張し、不在であったこと、控訴人のシルバーマンスコアを生後六日目以降カルテに記載していないことは認め、全身管理義務違反があるとの主張は争う。

(二)  同(二)の事実の内、酸素流量及び酸素投与の期間は認め、酸素管理義務違反があるとの主張は争う。

(三)  同(三)の事実の内、A医師が控訴人に対して眼底検査を実施しなかったことは認め、その余の事実は否認する。

(四)  同(四)の事実の内、A医師が控訴人側に対し、本症発生の危険性、定期的な眼底検査の必要性及び光凝固法などの治療法があることの説明をしていないことは認め、説明義務、転医義務違反があるとの主張は争う。

(五)  同(五)の事実の内、A医師が四月一二日から一七日まで岡山の日本産婦人科学会に出張していたこと、学会から帰った後酸素流量を二リットルに減じたことは認め、同医師に杜撰で不誠実な医療対応があったとの主張は争う。

六  同五〇枚目裏一〇行目の次に、次のとおり付加する。

10 発症原因について最新の研究成果

未熟児網膜症は酸素管理その他の治療技術が発達した現在でも発生が認められるのである。従って、控訴人主張の発症原因としての酸素仮説は否定され、ROPは多因子疾患で、酸素が唯一の病因ではなく、未熟児出生に伴う危険因子が相互に複雑に関与して起こるとされており(赤松洋「未熟児網膜症の発症因子」周産期医学一一五一頁)、因子相互間の関連は明らかにされておらず、結局本症の発生原因については、未だ明らかではなく、特に控訴人主張の如く、酸素投与期間の長短と発症頻度及び重症度との間には因果関係があると認めることが出来ないものである(西田朗は、未熟児網膜症は過剰の酸素投与による医原性疾患であるとの仮説があったが、現在では、未熟児保育上避けられない種々の条件が相互に複雑に作用した結果として起こることが示されており、これらの因子のほとんどは予防することが不可能であり、従って、極小未熟児においてROPを完全に防ぐことは出来ないものと考えられると述べている。「未熟児網膜症の予防対策」一一五九頁)。

七  同六〇枚目裏七行目から同六一枚目表五行目までを次のとおり改める。

(一)  A医師の行った酸素投与の実態について

同医師が控訴人に対して、行った酸素投与は次のとおりである。

(1)  期間及び流量(毎分)

三リットル 四月八日~四月一七日 一〇日間

二リットル 四月一七日~四月二五日 九日間

一リットル 四月二六日~退院まで 三三日間

(2)  濃度

保育器には、右流量を供給した場合の保育器内の酸素濃度(環境酸素濃度)が示されているが、それによれば、濃度は次のとおりである。

三リットル 三三~三七パーセント

二リットル 二八~三〇パーセント

一リットル 二四~二五パーセント

(3)  右流量による網膜症発症危険の認識について

同医師の使用した酸素は、右のとおり最大流量三リットルであって、その場合においても三七パーセントを通常越えないのであり、当時の通説的見解によれば、四〇パーセントを越える高濃度が発症原因となる可能性がある(安達寿夫「新生児学入門」二〇二頁)とされていたのであるから、同医師としては、当時の見解に添って、発症予防の流量調整をしていたのであって、落度はなく発症の具体的危険性の認識がなかった。

もっとも抹消前のカルテ記載を検討すると、四月八日、同一〇日、同一一日に一部四〇パーセントを越える酸素濃度の記載がある旨が窺われる。右の理由については、当審で同医師が証言したとおり児がミルク吸入若しくは呼吸不整のため、一時的に酸素を取り入れる力が弱くなったとき環境酸素濃度は上昇するが、これは、後記のとおり児の酸素吸入量の減少に基づくものであるから、逆に児の血中酸素分圧は低くなる。発症と関連するとされているのは、環境酸素ではなく、血中酸素であるから、計測時に児が不安定な状態にあることにより、一時的に環境酸素濃度が上昇したとしても、それが発症の誘因となることは考えられない。

(4)  流量の漸減について

同医師は、前記のとおり、三リットル、二リットル、一リットルと流量を漸減したものであるが、これは、前記安達見解によっても明らかなとおり、当時発症誘因としては、四〇パーセントを越える高濃度、又は、高濃度より急速に低濃度に下げることのいづれかが発症と関連するのではないかと説示されており(投与期間には触れられていない点注目すべきである。)、A医師は、右見解に従って三段階に漸減したのであって、当時の医学的水準に添った処置であったといわなければならない。

(5)  一リットル投与について

前記のとおり一リットル投与した場合の酸素濃度は、二四ないし二五パーセントであって、ほぼ大気中の酸素濃度と差はなく、保育器内は通気性が良好でないことから、児を保育器に収容していた期間一リットル投与を続けたのであって、右投与が発症と関連するものでないことは明らかである。また、この点につき被控訴人に過失がないことも明白である。

(6)  二リットル投与について

同医師が三リットルより一リットルに急減せずに中間に二リットル投与期間を設けたのは、急減が危険であるとの見解及び児の健康状況を全体的に観察してなしているのであり、二リットルの投与の基準濃度が三〇パーセントを越えないことを考えれば、右投与が当時の見解からして、発症要因となるとは考えられず、また、これに従って処置した被控訴人を非難することは出来ない。

(二)  三リットル投与について

結局本件における同医師の控訴人に対する三リットル一〇日間の投与が医師の裁量を越えた著しく不合理な処置であったかどうかの問題に帰着する。

この点について、被控訴人の採った右処置が合理性があり、かつその必要性もあったことは、次のとおりである。

(1)  投与期間と網膜症発症との因果関係

(ア) 本件当時、発症誘因として、投与期間の長短は影響があるものとして注視されていなかったことは、東北地方における臨床医師の指針として、広く読まれていた前記安達「新生児学入門」記載のとおりである。従って、一〇日間投与は合理性、必要性があること勿論であるが、加えて発症との関係においてより短期にすれば発症可能性が少ないであろうとの認識を被控訴人に強く求めるのは、当時の一般見解からして困難であった。なお、現在においても発症と投与期間との相関関係は明らかにされていない。

(イ) 本件において、控訴人側は、三リットル投与の必要性を全く認めていないのではなく、児の状態からして八日より一二日までの投与は、是認出来るが、一三日より一六日までの三リットル投与は不必要ではないかというにある。しかしながら、一二日以降仮に三リットル投与を漸減したとしても発症の可能性は否定できず、一六日まで継続したことにより発症し、又は発症の蓋然性が強まったことの証明は全くないのである。

(三)  三リットル投与の必要性、合理性

同医師が三リットル投与したのは、次の必要性、合理性に基づくものであって、医師の裁量を著しく逸脱したものではない。

(1)  控訴人の救命について

早期新生児期に死亡したり、また、後遺障害・特に脳障害を残しやすい疾患にかかわりやすい因子を持つ新生児をハイリスク・インファントというが、控訴人は、ハイリスクプレグナンシーより生まれたハイリスク・インファントであり、死亡の危険性が極めて高かったものである。しかも母は、控訴人を出産するまで三連続早産して、いづれも児は死亡しているのであり、加えて、控訴人は極小未熟児として出生したのであるから、出生後死亡可能性は高度であって、同医師は救命を第一に、仮に救命されても脳性障害の後遺症が残らないことを考えて保育に従事したものである。未熟児の死因は、肺不全や、呼吸中枢不全のための死亡が大半であり、脳性麻痺の場合と同様これを防止するのは酸素供給が不可欠である。特に、控訴人がRDSの症状を呈していたことは、後記のとおりであって、この点からも酸素投与は不可欠であったもので、同医師が投与中止について極めて慎重に対応したのは当然である。

控訴人は、全身チアノーゼ若しくは、陥没呼吸等の症状がない限り、投与すべきではない旨強調しているが、かかる見解は極めて危険である。すなわち、投与によりチアノーゼが顕れないでいる場合が多く、投与を打ち切り減量することにより、チアノーゼが発症し、直ちに再投与しても改善されず、死亡する例があり、現に同医師は、その例を体験しているのであり、一〇日間の三リットル投与より短くするのはハイリスクを伴い、同医師としては、後記のRDSも考え併せれば、躊躇するのが当然であって、医師の裁量内の行為であって、これを非難することは出来ないものである。

(2)  控訴人のRDS(呼吸窮迫症候群)と三リットル一〇日間投与

(ア) 控訴人はRDSに罹患し、しかも予後が悪い例に該当していた。

(イ) RDSの診断基準としては、〈1〉一分間60以上の多呼吸、〈2〉呼吸性呻吟、〈3〉陥没呼吸、〈4〉全身チアノーゼの四項目の内二つ以上に該当する考え方(新生児の呼吸障害産婦人科治療二五巻三号二八七頁)、また、論者によってはシルバーマンスコア二点の場合RDSとする基準もあり、いずれに従っても本件カルテ中の記載と対比すれば、控訴人がRDSに罹患したことは明らかである。

しかも、ミラーの分類によれば、第三群に該当し、予後不良例に該当するのであるから、控訴人はRDSとしても重篤な状態にあったといわなければならない。RDSは、呼吸の窮迫により、児が体内に酸素を採り入れる力が弱くなることになるのであるから、酸素供給が最大にして不可欠の治療法である。RDSは一般に三日間が峠(危険期間)といわれており、三日間保てば生命が助かる例が多いとされているが、救命が達せられたとしても脳性麻痺の後遺症が残る場合が多いとされている。

同医師は八日より一二日迄五日間RDSの治療に当たり、一応の山を越え救命については確信を持てるようになったので、学会に赴いたのであるが、予後不良例に該当する重篤な症状であったことに鑑みれば、今後当然脳性麻痺発症の可能性も考慮しなければならないので、脳性麻痺発症予防の為後記マクドナルド見解に従って計一〇日間の酸素投与をしたものである。

(3)  RDSの予後とマクドナルドの見解

児がRDSに罹患した場合は、特に罹患して三日間が生命に危険であるとされている。また、死を免れた場合についても、予後として脳性麻痺になる率が高いとされている。

しかし、マクドナルドは、一〇日間以上の酸素投与を行った場合、脳性麻痺の発症予防に極めて有効である旨報告をしており、同医師は右報告の趣旨に従って三リットル一〇日間の酸素療法をなしたものであって、同医師に責められるべき点はなく裁量権の逸脱はないものである。この点について、同医師が依拠したのは、昭和四一年一一月一五日発刊された日本産婦人科学会新生児委員会編の臨床家向けの成書である「新生児学」であって、学者の特異な見解の集約ではなく当時の臨床水準を示すものであるが、同書には、RDSの予後と酸素供給についてマクドナルドの見解が示されており「この報告(マクドナルドの報告)ではなはだ興味あることは、脳性麻痺の発生予防におよぼす酸素治療の効果でチアノーゼ発作を起こした未熟児に酸素治療を行わないで放置したり、短期間で酸素投与を中止したりすると、五七パーセントという高頻度に脳性麻痺が発生するが十分な長期間(一一日以上)酸素治療を行った場合には、全く脳性麻痺の発生を見なかったという。」として発症予防に対する酸素供給の有効性が述べられているのである。

(四)  カルテの濃度記載抹消について

(1)  本件カルテの濃度記載部分には一二回にわたり抹消の記載がみられる。右の理由については、同医師が原審以来証言しているとおり、児が不安な状態(ミルク吸入若しくは呼吸切迫等)で計ったところ、基準濃度より高い数値が出たので、計り違いしたと考え、その日の内に再度計測し直したところ、ほぼ基準値に相応する数値が出たので、前の記載を抹消して、新数値を加筆したものである。児の呼吸不整、ミルクの注入時に何故保育器内濃度が高くなるのか、その当時は不明であったが、その後主として昭和五〇年代になって、山内教授を中心としたグループで研究がなされた。

その結果、児の呼吸が促進するとか一時停止するとかの場合は流量が同じでも保育器内の酸素濃度が高くなり、逆にPaO2は低下する。また、カテーテルでミルクを注入した時にも同様の傾向がみられることが明らかになった。すなわち、同一流量の場合でも、児が前記条件下にあるときは酸素吸入が弱くなるので、その分器内酸素が増加する。従って、一時的に器内酸素が増量しても、その際は、血中酸素分圧(PaO2)は低下するのであり、網膜症発症に関連するのは、器内酸素濃度ではなく、PaO2であるとされているのであって、右計測時に一時高濃度が現れたとしても、それは、同症発症の要因となり得るものではない。

(2)  なお、前記のとおり抹消部分は一二回となっているが、三リットル投与中の抹消記載は、四月八日、一〇日、一二日の三回であり、二リットル投与期間中が四回(一八日、二〇日、二二日、二五日)一リットル投与期間中が五回(二六日、五月四日、同月八日、同月一〇日、同月一八日)となっている。二リットル若しくは一リットル投与中、児が前記条件下においても器内酸素が一時的にも四〇パーセントを越えることは考えにくいので、抹消前の記載が四〇パーセントを越えた可能性があるのは前記三回のみであることに留意する必要がある。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  当裁判所も、控訴人の未熟児網膜症発症については、原審と同様、被控訴人に債務不履行責任、不法行為責任及び国家賠償法二条による損害賠償責任はないと判断するものである。その理由は、原判決理由中の控訴人に関する部分の説示(第一当事者、第二原告らが本症と診断された経過の四、第三原告らの保育経過の四、第四本症に関する医療の現状、第五の一、二及び六、第六、第七の被控訴人の各責任に関する判断)に、次のとおり付加、訂正するほかは、右説示部分と同じであるから、これを引用する。

1  原判決六七枚目裏八行目「酸素投与」の次に「(但し保育器内酸素濃度については後記2のとおり)」と付加する。

2  同六七枚目裏末行から六八枚目裏五行目までを次のとおり改める。

2  酸素投与状況

〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  酸素投与量

控訴人は、前記のとおり昭和四七年四月八日南陽市立病院に入院し、アトムV五五型保育器(アトム医理科器械株式会社製)に収容された。

A医師は控訴人に対し、次の期間、次の流量の酸素(毎分)を投与した。

四月八日から同月一七日(午後七時)まで(一〇日間)三リットル

同月一七日から同月二五日まで(九日間)二リットル

同月二六日から五月二八日まで(三三日間)一リットル

(二)  保育器内の酸素濃度

(1)  右保育器の説明書によると、酸素供給量に対する保育器内の酸素濃度は次のとおりと記載されている。

一リットル 二四ないし二五パーセント

二リットル 二八ないし三〇パーセント

三リットル 三三ないし三七パーセント

(但し当該濃度になるには、供給後三〇分ないし四〇分必要)

なお、右説明書には酸素治療効果を確実にするため、定期的に器内濃度を測定する必要がある旨記載されている。

(2)  器内濃度の測定はA医師が行ったが、そのカルテの記載は次のとおりである。

(ア) 三リットル投与期間(四月八日から同月一七日まで)

四月八日、一〇日、一一日、一二日、の四日について、三〇パーセントないし三三パーセントと記載され、その他の日については記載がない。

右記載されている四日の分についても、そのうち三日分は前の記載が判読困難な程度に抹消されている。

(イ) 二リットル投与期間(四月一七日から同月二五日まで)

四月一八日、二二日の二日分について、二五パーセント、三〇パーセントと記載され、これらの記載はいずれも前の記載が判読困難な程度に抹消されたうえ、書き加えられたものである。なお、四月二〇日、二五日は濃度の記載が前同様に抹消されたまま、新たな記載はない。

その他の日は濃度の記載がない。

(ウ) 一リットル投与期間(四月二六日から五月二八日まで)

四月二六日、五月四日、八日、一〇日、一二日、一八日、二七日の七日分について、二二パーセント又は二三パーセントと記載され、これらのうち五日分は前の記載が前同様に抹消されたうえ書き加えられたものである。

その他の日は濃度の記載がない。

(3)  右の酸素濃度の記載の抹消について、前記A証人は、原審において、「一日に二回以上濃度を測定した場合、児の呼吸数が多いときに濃度が高くなり、呼吸が落着いたときに濃度が低くなり、後者の状態が多いので、前の記載を抹消して後の濃度に書き直した」と述べ、当審において、「当初酸素濃度を測ったところ、前記説明書の数字よりも高く出るので、測り違いかと思い、その日のうちに時間をおいて測ると低い値が出るので、前の記載を抹消して書き直した。しかし、その後昭和五二年の山内論文によって、児の呼吸不整等により酸素吸入量が減少する場合は、容器内の酸素濃度が高くなり(児の血中酸素分圧は逆に低くなる)、呼吸が安定して酸素吸入量が増えれば、容器内の酸素濃度は低くなる(血中酸素分圧は上昇する)ことが判り、測り間違いでないことが判明した」旨述べ、かつ三リットル投与の際、四〇パーセントを越える濃度(四三パーセント位まで)になったことがある旨を述べている。

しかして、〈証拠略〉によれば、右A証言に副う論文のあることが認められるが、右証言中のカルテを書き直した時期及び理由の部分は、前の記載を何故判読困難な程度に抹消しなければならなかったのか、その日のうちに測って書き直したとすれば、どうして同じことを反覆したのか、また、抹消したまま濃度の記載がないのはどういうわけか、などの疑問が残り、右抹消に関する前記A証言はにわかに信用することができない。

(4)  以上によれば、本件保育器内の酸素濃度は、三リットル投与期間は三〇ないし四〇パーセント以上(但し四〇パーセントを越えたのは一時的であり、かつ約四三パーセントまで)、二リットル投与期間は二五ないし三〇パーセント、一リットル投与期間は二二ないし二五パーセントと推認される。

3  同六八枚目裏一一行目から一二行目の「第一三四号証、」の次に「第一六一号証の一ないし七、」を加え、同七一枚目裏八行目の次に、次のとおり付加する。

ところで、現在、未熟児には、PaO2や経皮酸素分圧をモニターして、過剰な酸素投与を避けるよう厳重に管理されているのに、なお本症が発症していること、酸素投与期間の長短と本症の発症頻度及び重症度との間に相関関係を認めることはできないこと、本症は多因子疾患で、未熟児出生に伴う危険因子が相互に複雑に関与していること等の研究報告又は論文が発表されており、本症の発症について酸素の占める比重は過去において考えられていたより低く評価されていることが看取される。

しかし、これらの研究報告や論文によっても、本症が前記のように網膜血管の未熟性を素因とする多因子の疾患であるが、PaO2の上昇がその中の重要な誘因であることを覆すものではない。

4  同八九枚目裏八行目から同九一枚目裏四行目までを次のとおり改め、同五行目の「八」を「七」に改める。

1  全身管理義務

控訴人主張の全身管理義務違反の事実中、控訴人の全身状態を観察し、酸素投与量を早期に減少調節すべきであったとの点については、後記2の酸素管理義務において検討する。

保温などその余の全身管理義務違反の主張については、右主張事実と本症の発症との間の因果関係を認めるに足りる証拠がない。

付言すれば、控訴人の低体温状態が続いたこと及び保育器内温度が三〇度に調整されていたことは前記第三の四で認定したとおりであり、〈証拠略〉によれば、「あらまし、出生児体重一五〇〇グラム以下の未熟児は三二度、一五〇〇ないし一八〇〇グラムの児にあっては三〇ないし三二度に保育器内の温度を保つこと」とされていることが認められるが、〈証拠略〉によれば、体重別の適当な温度と湿度については、いまだに定説はないとされていることが認められるから、温度についての全身管理義務違反があったとは認められない。

2  酸素管理義務

(一)  A医師の控訴人に対する酸素投与量とその期間、酸素濃度及びそのカルテの記載状況は前記第三の四の2認定のとおりである。

(二)  A医師が四月一三日から一七日まで岡山の日本産婦人科学会に出張し不在であったこと、同医師が使用しているチェック表シルバーマンスコアに生後六日目以降点数の記載がないことについては当事者間に争いがない。

前記第三の四の認定事実並びに〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

控訴人は、四月八日入院当時、陥没呼吸があり、シルバーマンスコアが六で、四肢にチアノーゼがあり、RDSの症状と診断された。入院後直ちに保育器に収容され、前記のとおり酸素投与を受けた。右シルバーマンスコアの点数は、第二日目(四月九日)三点、第三日目二点、第四日目一点と減少し、四月一二日以後は呼吸状態も一応安定し、全身状態は概ね良好であった。

A医師は、RDSは生後三日間あたりが最も悪化するので、生後五日まで呼吸状態を詳細に観察するため、右シルバーマンスコアの点数を記載し、その後は右控訴人の全身状態が良好になったので、これを記載しなかった。

また、同医師は控訴人の全身状態が一応安定したと判断したので、前記のとおり岡山の学会に出張した。不在中については、南陽市立病院の近所のB医師に依頼したが、その依頼は電話で簡単に頼んだ程度であり、同医師が右出張の五日間、控訴人の診療に当った形跡は窺われない。

(三)  次に、右(一)、(二)の事実によれば、A医師は、控訴人主張のとおり、控訴人の呼吸状態が一応安定し、全身状態が概ね良好になった四月一二日から同月一七日まで三リットルの酸素を投与し続けたものである。

ところで、〈証拠略〉によれば、昭和四一年一一月発刊された日本産婦人科学会新生児委員会編の「新生児学」にマクドナルドの報告として、「チアノーゼの発作を起した未熟児に酸素治療を行わないで放置したり、短期間に酸素投与を中止したりすると、五七パーセントという高頻度で脳性麻痺が発生するが、十分な長期間(一一日以上)酸素治療を行った場合には、全く脳性麻痺の発生を見なかった」という記載があり、A医師は、これに依拠し、また、当時酸素濃度が四〇パーセント以下であれば、本症に罹ることはないと信じていた。(前記第五の二の3によれば、当時同医師がこのような認識をもっていたことに責められるべき点はない。)ので、右のような酸素投与を継続したものであることが認められる。

(四)  しかして、未熟児に対する酸素投与は必要不可欠であるとともに本症の重要な原因の一つとなりうること、したがって、酸素投与に当たって、医師は未熟児の全身状態を観察しながら適切な濃度の酸素を投与すべき義務があること、酸素の具体的な投与方法については、酸素投与に関する当時の支配的見解の範囲内において個々の医師の裁量にゆだねられると解すべきことは、さきに説示したとおりであり、A医師が右判示について相応の認識と理解を有してしたことは、すでに認定したところから明らかである。

してみれば、医師が生後六日の極小未熟児の全身状態を診察しないまま五日間もの間、三リットルの酸素を看護婦任せにして投与し続けさせたことは、到底、医師の裁量範囲内の適切なものと認めることはできないから、酸素投与違反義務の過失があるというべきである。

のみならず、前記第三の四の2認定によれば、A医師は、酸素濃度のカルテの記載を、前の記載が判読できない程度に訂正し、その時期や理由について必ずしも首肯し難いことは前記のとおりである。このカルテの書き直しは、不適法かつ妥当性を欠くものといわざるを得ない。

(五)  しかしながら、控訴人に対する前記認定の酸素投与の経過と本症発症の機序に関する前記研究の成果に鑑みれば、A医師の右酸素管理義務違反、すなわち、四月一三日から同月一七日まで三リットルの酸素投与を継続し、その後二リットルに減少して投与を継続したこと及びカルテの書き直しと控訴人の本症発症との間に相当因果関係があるとまで認めることはできず、〈証拠略〉も右認定を左右するに足りず、他に右認定判断を左右するに足りる証拠はない。

3  眼底検査義務及び治療義務

前記第五の二のとおり、昭和四七年の本件診療当時、臨床医学の実践における医療水準として、光凝固法及び冷凍凝固法は、いまだ本症に対する有効な治療法として確立されたものとはいえない状態であったから、当時これを施術しなかったとしても治療義務違反となるものではない。

また、眼底検査は、光凝固法等の施術の必要性及びその適期を判断するため行われるもので、検査自体は治療効果をもつものではないから、光凝固法等が有効な治療法として確立されているのでなければ、右検査を行わないとしても、検査義務違反となるものではない。

4  説明義務及び転医義務

これらの義務についても、当時の医療水準として、光凝固法等の治療法が臨床医学上治療法として確立していることが前提となり、この場合に右治療法を受けさせるため転医措置を執り、或いは右治療法の存在について説明する義務を負うものと解されるから、本件診療当時光凝固法等がいまだ確立された段階に至っていない以上、その説明ないし転医措置を執らなかったことをもって、義務違反と認めることはできない。

二  不誠実診療責任の主張(請求原因四6(五))について

1  診療契約によって医療機関が負う債務は、疾病の診断治療にあたって誠心誠意、診療当時のいわゆる臨床医学の水準に照して、当然かつ充分な医療行為を果たすことである。従って、右の債務は、法律的には結果債務でなく手段債務であり、これを医療の側面からみれば、治療責任の完遂であって、患者の病気を癒すという責任を負ういわゆる致癒責任ではないということができる。

医療業務は、人の生命及び健康の管理に直接関わるものであるから、医療に従事する者は、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのである。もとより、右注意義務は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であると解されるが、医療に従事する者は、誠実かつ真摯に右に述べた債務ないし義務を履行する責任を負うものである。

さらに、診療契約から発生する債務は、他の財産上の契約における債務と異なり、患者が医師から専門的知識、技術とその誠実かつ真摯な診断、治療の提供を受けることが当然に期待されるのである。そして、診療契約において右のような信頼関係が成立しているからこそ、患者は安心して、医師に自己の生命、健康の管理を委ねるのである。

従って、右のような信頼関係は、医療行為に内在し、診療契約の中核的内容を形成するものであり、しかも、右の信頼関係を基礎とする診療契約から生ずる債権債務は、人倫的色彩の強いものではあるが、いわゆる期待権ではなく、法的に保護されるべき一種の法的地位と観念するのが相当である。

しからば、仮に、当時の医療水準に照らして、医師の診療行為と事故との間に相当因果関係が認められず、又は結果に対して医師の責任が認められない場合であっても、医師をはじめとする医療従事者が著しく患者の期待に反し、又は信頼を裏切るような杜撰かつ不誠実な診療行為に及んで、右患者の法的地位を違法に侵害した場合には、診療契約を結んだ医療機関は、患者側に対して、債務不履行の責任を負い、精神的損害を含む損害賠償義務を負うものと解するのが相当である。

2  右の見地から、控訴人主張の不誠実診察があったかどうかについて調べてみる。

(一)  前記第五の六の2で認定した事実及び〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

A医師は、昭和四七年四月一三日(控訴人の生後六日目)から同月一七日までの間、岡山の産婦人科学会に出張し、右不在中のことについては近所の医師に依頼したが、その依頼は電話による簡単なものであり、しかも、その医師が控訴人の診療をした形跡は窺われない。なお、その間、南陽市立病院の他の医師が定期的あるいは不定期的に控訴人の診断、治療及び看護婦に対する指示を行った形跡も窺われない。

右A医師の不在中の五日間は、控訴人に対する診療は、専ら看護婦任せにされ、この間、看護婦がA医師の出張前の指示に従って、漫然と毎分三リットルの酸素投与を継続した。そして、右の五日間は、出張前同医師が自ら毎日行ってきた保育器内の酸素濃度の測定も全くなされなかったものである。

(二)  当時、控訴人は前記のとおり呼吸状態が一応安定し、全身状態は概ね良好になった時期であったこと前記のとおりであるが、このことを考慮にいれても、極小未熟児で、本症の危険性のある控訴人を、生後六日目から五日間もの間、看護婦任せにして医師が直接診ることがなかったことは、許容し難い。

A医師が五日間も出張不在にすることが予定されていたのであるから、同医師を監督すべき立場にある南陽市立病院の管理者は、代わりの医師を依頼して控訴人の全身状態を診察しつつ適切な酸素投与を行うべきであり、もし、代替すべき医師が確保されないのであれば、A医師は控訴人に対する治療を優先して学会への出席を取り止めるべきであり、また、右病院管理者としても、その出張を許可すべきではなかったというべきである。

(三)  また、前記第三の四の2認定のようにA医師は、保育器内の酸素濃度のカルテの記載を、前の記載が判読困難な程度に抹消し、同所に新たに濃度を書き加え、又は抹消したままにしておき、右抹消の時期及び理由について首肯するに足りる合理的な説明のないことも、すでに認定したとおりである。

右のような合理的理由のないカルテの記載の抹消、変更は、「医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。」と定めた医師法二四条一項の規定の趣旨に反するものであるのみでなく、患者の医師に対する信頼を著るしく損わせる行為であるといわざるを得ない。

3  前記認定の事実関係を総合すれば、被控訴人の履行補助者として控訴人の診療に当った南陽市立病院及びA医師の本件診療行為には、控訴人主張のように、著しく控訴人の期待に反し、又は信頼を裏切るような不誠実かつ杜撰な一面のあることが認められるから、控訴人の患者としての法的地位を違法に侵害したものといわざるを得ない。

したがって、被控訴人は右の義務違反により控訴人が被った精神的苦痛を慰謝すべき責任があるというべきである。

4  しかして、前記認定の事実関係、本件慰謝料の特殊性その他本件に現われた諸般の事情を斟酌すれば、慰謝料の額は、金三〇〇万円が相当であると認められる。

また、控訴人が本件に要した弁護士費用は、本件事案の性質及び審理の経過に鑑み、そのうち、金四五万円について本件と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

三  以上の次第で、控訴人の本訴請求は、被控訴人に対し、金三四五万円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五一年二月二一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却すべきであるから、原判決を右の趣旨に従って変更することとし、訴訟費用について民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して(なお、仮執行宣言は本件事案の性質上、これを付さないこととする。)主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 糟谷忠男 裁判官 後藤一男 裁判官 渡邊公雄は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 糟谷忠男)

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